top of page

物づくりの心。


トーテムポール 庭

無口な男。

僕の父は、広島市の消防士でした。ただ、ほとんどまともに会話をしたことはなく「電気を切れ」「肘をつくな」その二つの言葉だけ僕の心に刻まれています。仕事の話を聞くことも、愚痴も一切聞いたことはなかったので、本当にこの人は消防士なのかな?と思ったり…。とはいえ、家にいるのは一日置きで、警報がでると出動する。そんな無口な父が家にいる時はどことなく緊張感が漂っていた。



顔をひとつデザイン。

そんな父の物に対するこだわりと愛着がヤバかった。机、テーブル、椅子、家、車、バイク、天秤、耕耘機…その他、物を作るために使う道具も。とにかくきちんと整理され、大切に扱っていた。買った物には購入した日付をテープライターで打ち(黄色バック黒文字や青バック白抜き文字の)シールを貼る。もちろん、僕の机にも。家も仕事しながら自分で建てようと考えていたらしい。最終的にテレビで見た設計士に依頼し、建築中も行ける時は通い詰め、ほぼ、見張っていたらしい。休みの日は絵を書いたり、粘土でお面を作ったり、鉄工芸したり、野菜を育てたり。気がつけば家の中は父の作品だらけだった。印象深いのは、僕が8歳の時、父が昔の電柱(木)をどこからともなく持って帰ってきた。「顔をひとつデザインしなさい。」っと僕かに言ってデザインというか絵を描いたような記憶がある。自分はうまく形にできなかったのかあまり覚えていないけれど、上から4つは父が、一番下を兄がデザインし、僕のはなかった。家の車庫(道具を置いたりする倉庫や屋根、地面はコンクリートを流し込みすべて手作りで父がつくった立派な車庫)で大きな丸太を横にし、濃い鉛筆かなんかで下書き。ノミで削り、ペンキで色を塗ったりして、、、といっても父なのに話しかけづらいオーラがあったので特に一緒に会話しながらつくっていくというような感じはなく、残念ながら、ほぼ父の手だけで作られ、いつの間にか庭に建っていた。家の前を通る人も庭に立っているトーテムポールを見ることができた。トーテムポールがある家になった。



朝からバレーボール。

母はというと、早朝5時前には起床し、膝にサポーターをはめ、バレーボールでも始めるのか?という格好で、毎朝、家中を雑巾がけしていた。四つん這いになって必死に掃除している母の姿を、僕は布団の中からぼんやり目を覚まし、うっすらと見ていたのを覚えている。そんな母は、とにかく気がつく、気がつく、気がつく、気が利く人。コミュニケーション能力が半端なく、誰とでもすぐにお友達に。



物づくりの心。

物づくりで一番大切なことは何だと思いますか? たぶん、物を大切にする心だと、両親から教わった気がします。これも、たどり着いてしまった。。という感じにはなりますが。今の僕の仕事、デザインすることもきっと同じ。父とは、ほぼ会話という会話をしていないけれど、そうなんじゃないかなと。僕も社会人になり、会社に毎朝一番に行ってそうじをしていた。そうじをすると、気持ちに余裕ができる。たくさんのことに気が付く。気持ちよく1日をスタートでき、仕事に集中できる。そして、そんな想いを10年前くらいにカタチにしてみたのが「若者よ、雑巾を持て。」


若者よ、雑巾を持て。

父親というのは、ずるい存在なのか? 母親からしたらそうなのかもしれない。ただ少しマニアックな言い方だけど、僕がデザインするすべての物のクリエイティブディレクターは、いつも父と母だと思っています。トーテムポールの顔のデザインができなかったか、採用されなかったかは覚えていない。ただ今思えば、その見返りが、ウケるちゃんだったのかもしれない。



2020.10


bottom of page