日本代表と僕の手作りの日本国旗。
歓喜のビクトリーラン、
無数の日の丸がスタンドに揺れた。
その中の一つ、ひときわ大きな国旗は
僕がつくった手作りの国旗でした。
今から約30年前、1992年11月8日、できたてホヤホヤの広島広域公園陸上競技場(ひろしまビックアーチ→エディオンスタジアムひろしま)でサッカーアジアカップの決勝戦が行われた。日本対サウジアラビアの一戦。当時、中学3年生だった僕にとって、初めての日本代表の試合観戦に同じクラスの友達と一緒に行こうということになり、何を思ったかこの試合を見に行くために迷わず塾を辞めた。僕は、この試合にかけていた。
次の年にはJリーグが開幕するということもあり、世の中的にも盛り上がっていた。その波にものっかり、広島で日本代表の試合があるのに、見に行かないわけにはいかないでしょ!と友達と盛り上がり行こう!行こう!!と。
試合の前夜、自分の部屋一面に広げた真っ白い布(シーツだったか?)にきれいに日の丸を描き、そしてそのまわりには、Jリーグのロゴマークなど、いろんな思いの丈をかきなぐった手作りのドデカい国旗。棒は近所のスーパーに掲げられてたノボリから拝借。つくった日本国旗を手に、スタジアムの一番高いところを陣取り日本代表を応援した。
高木琢也のゴールで見事、劇的なアジアカップ初優勝を飾った日本代表。
選手たちのビクトリーランが始まるや否や、スタンドの高いところから、グランドちかくに降りて、大きな旗を片手に、大きな声で叫んだ『キタザワ~!!!』。すぐ目が合い、僕の手作りの国旗を受け取ってくれ、それをもって走ってくれた。そしてグランドの中央で代表選手が集合し記念撮影する際に、選手の前に広げて置かれた国旗こそ、僕がつくった手作りの国旗であり、そしてその写真がその次の月のサッカーマガジンの表紙に掲載されたという話。まさに、歴史的勝利!
サッカーマガジンの表紙に、自分が手作りした国旗が載ったことが嬉しくて、学校のみんなに自慢したのを覚えています。
その雑誌の中には、今現在日本代表の監督をされている森保さんも載っています♪
がんばれ!日本代表。
熱い想いは、きっと届く。
まだまだ、僕もがんばるぞ!
2023.1